なんとなく「何か」を思い浮かべたり感じたりして、
『何か』の輪郭のようなものはあるのに、
しっかりとしたカタチとして認識しにくいことがあります。
そんな時は、
それを言葉や活字などにする出来事がおこって、
それを過ぎた後で、
「これだったのかぁ」て思うことがあります。
どうしてもハッキリしたカタチで
自分に落としておく必要があることなんでしょう。
相手に伝えているようで、自分にも伝えている。
自分に伝えるために、誰かに伝える出来事がおこる。
とも言うのでしょうか…
昨日、ある方とのメールのやりとりをしたあと、
ふと そんなことを考えました。
昨日のメールのやりとりのお陰で
自分に落とし込めたコトバのカタチはこんなことです。
先日、チケットをいただいて出掛けた生け花展の生け花体験で、
先生がおっしゃったことと、そのコトバを受けて感じたこと。
私の生け花をさりげなく手直ししながら、
先生が、
『枝と小枝がくっついて重なる時は、
小枝を落として風通しのよい状態をつくるんですよ(^^)
落とした小枝は、また別な位置にいけて
大事にしてあげるといいんです。』
と、楽しげに花を見ながら、風の流れを感じさせる手つきでお
話してくださいました。
何だか、その話が人の世にも重なる気がしたんです。
いろいろな状況や人との兼ね合いで、
自分のために折れてくれる人がいたり、
誰かのために折れる自分がいたり、
そんな助け合い(?)みたいなものがある
ある時は、
『受け取る側になったり、与える側になったり』とか。
そんなことを改めてわかっておくことと、
どちらかに偏らず生きる努力をすることが、
風通しのよい環境をつくり出す。
という感じで。
空気の大切さを知って生きているのと
知らないで生きているのでは、
物差しで計れないけど随分な違いがあると思うんですが、
それと同じくらい、
大事なことのような気がしたんです。
自分にも、周りにも、
風通しのよい生き方できるといいなぁ。