Aさんの体に原因不明の痛み。
Bさんとの過去世にものすごく激しい遺恨を感じました。
読み取った過去は、
「Aさんが、Bさんに積年の憎さ怒りを持ったまま、
自害に追い込まれてなくなった」
というもの。
このときは、
まずAさんのみたまの中の絡まった糸をほぐすように当時のみたまをケアしました。
すると、そのケアしたみたまが、
遺恨を残した時代のBさんのみたまへ語りかけにいきました。
そして、Bさんのみたまのケアをしてくれたのです。
そのあと、ケアされたBさんのみたまはというと、
私が現世のAさんの肉体へのケアをしているところへ応援部隊として・・・
というより、途中からは私に成り代わる勢いで、
必死に、献身的に「救う」「つぐない」「感謝」という意志を持って動いてくれました。
(すべてを表現できないので、『構図』的な書き方になっちゃいます。
伝わりにくかったらごめんなさい。)
それまでにも多次元間での「みたまの共有」を感じながらきたつもりでしたが、
この時は、
過去や未来や今というくくりが消え、
「すべて」が支えあっている、助け合っているようなものを見せてもらった気がして、
なんか、泣きそうでした。
すべてが本当の意味で『ひとつ』をつくるようになること。
時間はかかるかもしれないけど、
「あるよ」
と思えました。
『みたま』にとって、過去や未来、今、というものは、
それぞれが、
私たちが思う「体の一部分」みたいなものなんだと思います。
夜空の星を見るにしても、
気が遠くなるほど昔の輝きを「今」見ている。
ひとつの空間に、時間ではくくれないものが存在する。
すべてが共存。
遠くを見るのも大事
近くを見るのも大事
大きなとらえ方も大事
身近なとらえ方も大事
失敗も成功も大事
あるものもないものも大事
今何が必要かは、動きを止めない限り、いつかわかる。
・・・・・・・ヾヾヾ
まずい!
あ~~~、
またまた広がり始めました(^^ヾ
いい加減にしときます。
おつきあいありがとうございました!!
それでは、また(^^)!