思いやりは一方通行じゃない

震災自体は、まだまだ厳しい状況ですが、

 

日本に限らず、

世界中からのあたたかいメッセージや活動が

続々と報告されるテレビ報道に胸が熱くなります。

 

 

 

あの報道は、

被災者の皆さんの目にはなかなか入る状況でないのかもしれませんが、

被災していない人たちをつき動かすものとしても

十分に力となっていると信じています。

 

本当にありがたいです。

 

 

そんな中、様々な場面で批判の声も出始めているのも

見受けられます。

 

 

 

 

 

 

 

人の行うことについて、

「正しい」「正しくない」

ということは、

目に見えるカタチだけで判断できないことが多いと思います。

 

 

 

そこに、どんな思いがこもってのカタチ(=行い)なのか・・・

どんな背景があってのカタチなのか・・・

 

 

受け止める側

第三者

それぞれの立場や個人個人でも判断は様々だったりもするみたい。

 

 

 

けれど、

「他を思いやる」ことから生まれたカタチは、

攻めを受けるものではないと思う。

 

 

 

もしも、そのカタチが迷惑や間違いとされるものなら

それを「伝える」ことで十分だと思うんです。

 

 

 

「他を思いやる」ことをカタチにできる人なら、

伝えられるだけで、

十分に自分の行いの与えた影響を深く刻み込んで苦しみ

そして、新たなカタチづくりへ向ってくれると思うから。

 

 

 

 

する側、される側

あげる側、もらう側

そして、その他の見守る側

 

自分一人にも、時が変わればいろんな立場になりえます。

 

 

 

どんな立場にいたとしても

その位置で「思いやる」気持ちを持って物事に向き合えたら、

いざというとき、同じ方向に進む仲間になれる。

 

 

 

大きな「おもい」の力が、

明るい方向への原動力として作用する気がするんです。

 

 

 

 

自分以外を思いやる心は持っていたいし、

思いやりのカタチは、

思いやりの心で受け止めたり、

思いやりのフィルターを通して見たり・・・

そんな風にして、

摩擦から、逆風を生じさせることのないように

生きられたらなぁとしみじみ思います。